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ヤーミン・チーパオ の シルクロード 

  会社辞めた組夫婦のユーラシア横断滞在記

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[Photo136]アルティット村を臨む
2005/07/21;カリマバード
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[Photo137]フンザ料理
2005/07/21;カリマバード
右:じゃがいもとほうれん草の塩ゆで。
懐かしさ漂うフンザ郷土料理。
左:チャパティにヤギのチーズ・タマネギ・香草を
挟んでアプリコットオイルを絡めたもの。
アプリコットオイルとチーズが絶妙の組み合わせとなる。
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[Photo138]子供
2005/07/23;アルティット村
迷路のような砦の中を案内してくれたかわいいガイド。
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[Photo139]アズナンの友達
2005/07/23;アルティット村
アズナンといういたずらっ子がいる。
この子はアズナンの友達の泣き虫の男の子。
毎日一緒によく遊んだ。
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[Photo140]子供たち
2005/07/23;アルティット村
子供がとにかくたくさん。
ここでは5人兄弟は少ない方で10人兄弟も珍しくない。
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[Photo141]アルティットフォーと
2005/07/23;アルティット村
900年以上も昔の砦。
今は地元の人がたくさん暮らしている。
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[Photo142]アズナンの友達
2005/07/23;アルティット村
この子もアズナンの友達。
とても人懐っこくかわいぃ。
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[Photo143]ポピーの花
2005/07/24;アルティット村
まるで宇宙植物のようだ
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[Photo144]女の子
2005/07/24;アルティット村
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Blogデザインがリニューアルされました。
ヤーミン・チーパオの旅はまだまだ続きます。
これからも楽しい話を皆様にお届けできるよう
執筆活動がんばりますので、よろしくどうぞ!

仕事中にこんな素敵なデザインをしてくれたチバさん、
ほんまにほんまにどうもありがとうございます。 このページのトップへ
♪かぜのたに~の~なう~しか~
♪ねむるもりをとびこえ~
♪あおぞらから~ま~い~お~り~たら~
安田成美かぁ。元気かなぁー

ついに、ついに、ついにフンザへやってきた。パキスタンに来たかったというより、このフンザにどうしても来たかった。
僕がフンザのことを知ったのは6年前(1999年)のことだった。当時、僕は大学3年で、4年に上がることはできないとほぼ決まっていた。大学2年の時のすばらしきぐうたら生活のおかげだ。ただ「もう一度大学3年をやんねやったら人とは違う事をしよう。」と思った。そして選んだのが旅だった。2度目の3年の前期はあらゆる手段を駆使して全ての単位を取った。後期は休学して最初の2ヶ月間をバイトにあて、予定してたお金を貯めた。その間、旅のことについて、期間は4ヶ月でルートは次のように考えていた。シンガポール→マレーシア→タイ→ラオス→ベトナム→カンボジア→タイ→ミャンマー→インド→パキスタン。旅のゴールに考えていたのがパキスタン北部のフンザだった。このフンザをゴールに選んだのは単純な理由だった。旅のルートについて話をしてた友達が、「『風の谷のナウシカ』の舞台になったんがパキスタンのフンザらしいで」と教えてくれた。スタジオジブリの大好きな僕は、なんの迷いもなくゴールをインドからフンザに移した。どうしても自分の眼で風の谷をみてみたかったのだ。しかし、夢は叶わなかった。いろいろあって、いや、ただ犬に噛まれて、インドにすら行けず、旅はネパールで終わった。
 
6年越しの想いが今やっと叶った。
 
  
[Photo125]パスーの子供たち
2005/07/16;パスー
フンザの子供の中には金髪で青い眼をしている子もいる。
アレキサンダー軍の末裔かも?と何かで書いていた気がする???
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[Photo126]パスー氷河
2005/07/16;パスー
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[Photo127]トラック
2005/07/17;グルミット
装飾命!ド派手こそパキスタントラックよ!
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[Photo128]グルミット村の子供たち
2005/07/17;グルミット
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[Photo129]子牛
2005/07/17;グルミット
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[Photo130]絨毯工場
2005/07/17;グルミット
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[Photo131]カマリス村の親子
2005/07/17;カマリス
ふたりとも固まってしまった。
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[Photo132]谷
2005/07/17;カマリス
風の谷に似てる気がする。
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[Photo133]カマリス村の子供たち
2005/07/17;カマリス
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[Photo134]さくらんぼ
2005/07/19;フンザ
宿探しをしてる途中、ある宿の庭に大きなさくらんぼの木があった。
食べ放題と聞いてこの宿に決めた。
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[Photo135]さくらんぼ
2005/07/19;フンザ
アメリカンチェリーではなく、山形のさくらんぼのようだ。
ただ一粒がアメリカンチェリーの1.5倍ほどあり食べ応えがある。うまい!
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カシュガルから中国側の国境の町「タシュクルガン」に行く途中に、カラクリ湖という標高3600Mの綺麗な湖がある。富士山頂とほぼ同じ高さだ。タシュクルガン行きのバスを途中下車し、湖畔にあるキルギス族のパオに泊まることにした。

[Photo117]ムスターグアタ山
2005/07/13;カラクリ湖
標高7000M級の山が四方を囲む。
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[Photo118]キルギスのおじいちゃん
2005/07/13;カラクリ湖
まだまだ元気。馬にも乗るし、英語も話す。
上空を飛んでいるヘリコプターを見るのが大好き。
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[Photo119]パオの中
2005/07/13;カラクリ湖
食事などの世話をしてくれた家族のパオの中でバター茶を飲む。
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[Photo120]日光
2005/07/13;カラクリ湖
曇りがちだった空の合間から日の光が湖に差し込んで美しかった。
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[Photo121]子供
2005/07/13;カラクリ湖
二人は姉妹。水溜りでままごとをしてた。
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[Photo122]晩御飯の用意
2005/07/13;カラクリ湖
帽子を被った2歳ぐらいの女の子はなかなか懐いてくれなかった。
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[Photo123]タジク人
2005/07/14;タシュクルガン
中国側国境の町タシュクルガン。ここにはタジキスタンからきたタジク人が多く住む。
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[Photo124]フンジュラーブ峠
2005/07/15;カラコルムハイウェイ
中国とパキスタンを結ぶ道路はカラコルムハイウェイと呼ばれている。
この道路を通り、国境のフンジュラーブ峠を越える。
ハイウェイとは全く呼べない代物だが、景色だけは絶品。
もうすぐ本当に中国とお別れ。
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中国最西端の街、カシュガル。ここが中国最後の街だ。はやいもんで、上海に着いてからもう2ヶ月半が過ぎた。???と疑問だらけやった中国の文化にもいつの間にか慣れてしまった。まったくもって旅行し易く安全な国だった。その分、あまり長く居るとかえって退屈になってしまう。そろそろ行くとしよう。次はパキスタンだ。旅慣れてダレタ気持ちを引き締めねば。ありがとう中国!

[Photo108]エイティガール寺院
2005/07/09;カシュガル
新疆最大のモスク。
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[Photo109]礼拝堂の天井
2005/07/09;カシュガル
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[Photo110]礼拝後のモスク前
2005/07/09;カシュガル
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[Photo111]日曜バザールでお買い物
2005/07/10;カシュガル
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[Photo112]駐車場は駐ロバ場
2005/07/10;カシュガル
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[Photo113]あぁん?
2005/07/10;カシュガル
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[Photo114]黄色いイチジク
2005/07/10;カシュガル
日本のイチジクと違い黄色く平べったい。
皮が薄く皮ごと食べれる。味は同じ。
今街中このイチジクだらけ。
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[Photo115]紋白蝶
2005/07/11;カシュガル
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[Photo116]香妃墓
2005/07/11;カシュガル
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またしほです。
☆和田(ホータン)
 タクラマカン砂漠の南にある大きなオアシス。玉(ぎょく)、絨毯、シルク、果物などがとっても豊富で古来より栄えてきた。白玉河と墨玉河という河に挟まれていて、そこで採れる玉の名産地で、とっても有名です。
 中国には何千年も前から玉信仰というのがあって、玉の形や色・彫刻に様々な意味があり、多くの人が今でも身に着けています。子供からヤングもお年寄りも。日本でいうお守りのようなものやけど、ファッションのひとつでもあって流行ってるし、3億人は身に着けているんじゃないかなぁほんまに。
 ここ十年ほどで、玉ブームもあって玉の値は10倍にもふくれあがったとか。いい玉は何百何千万円とするらしい。一攫千金をねらって、あとはただのこずかい稼ぎ、河原で玉を拾っては街で売買している。手に玉を握り握りしてるやつらで街中うじゃうじゃ。それは大概ウイグル人で、ウイグル人には仕事があまりないこともよくわかる。チャンスの裏で、貧富の差も大きいのです。
 そんなこと思いながらも、ちゃっかり便乗して二人してお気に入りの玉をみつけて購入。
  
☆ホータンからイエチョンへ
 ここ数日ずーーっと思い雲がのしかかって、気分までどんより。乾燥してるから雨こそあんまり降らないけど梅雨みたいなもんなんかなぁ。
 砂漠では大雨が降ったらしく、移動途中の道が3ヶ所ほどくずれていました。仮説の橋ができていて、今にも橋も落ちそう。ちょっとでもバスを軽くするため、人はバスからおりて橋をわたった。砂漠は水を吸収しないから大雨が降ると急遽砂を削って河ができて、道路なんかも飲み込んでしまいます。恵みの雨も、危険がともなっている。
 そんな砂漠の中に、2千年前、王国があったんです。砂漠が移動して消滅してしまったなんて、、、ろまんなんです。
 
☆イエチョン
 ホータンとカシュガルのまんなかの小さな街。あまり旅行者は立ち寄らない。K2への玄関。チベットへの道もあります。
 人口ほとんどがウイグル人。車よりも、ロバと馬と輪タクがまだ主流。果物がたくさんとれるみたいで、どこの商店にも瓶入りのざくろジュースやなんかが置いてある。バラもたくさん咲くみたいで、バラジュースもおいしいです。レストランでも普通にバラ茶が出されて、おいしかったなぁ。
 
[Photo099]日曜大バザール
2005/07/03;ホータン
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[Photo100]俺を撮れ!
2005/07/03;ホータン
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[Photo101]私を撮って!
2005/07/03;ホータン
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[Photo102]スイカとメロン
2005/07/03;ホータン
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[Photo103]和田玉売り
2005/07/03;ホータン
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[Photo104]シルク工場
2005/07/07;イエチョン
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[Photo105]絨毯工場
2005/07/07;イエチョン
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[Photo106]小さな小さな演奏会
2005/07/07;イエチョン
 博物館にいってみた。今まで色んな街で博物館にトライしてきたけど、半分くらいは<工事中>とか<現在ありません>。しかも工事中とかいって、工事してないし!いつできんねん!そんなんで、博物館に行く時は、あんまり期待しないで行くように心がけていました。
 イエチョンの博物館は文化センターの中にあって、でも鍵が閉まってるし前をうろちょろしてたら、こまっしゃくれた女の子が英語で話しかけてきて、なんでか丁寧に全程案内してくれた。その子は博物館の人ではないんやけど。
 博物館とはよく言ったもんで、中身は全部パネルでした。こんな博物館初めて!展示物なし!!この街はこんなすばらしいんです、みたいなことをパネルで表示してあるー。古い陶器みたいなんが置いてると思ったら、どこで採取したとかいつ頃のものとかなんにも表示なし。そのこまっしゃくれた女の子は、「many many times ago」とか説明してくれました。一つ、なんだか古めかしいバイオリンが置いてあって、妙に東西の文化が行き来したシルクロードを思わせたのみ。
 そんな文化センターも、おもしろいことがあって、ウイグル族のダンスの練習場面や、ウイグルの楽団の演奏をきかせてくれたりしました。これは他の博物館では味わえない。楽団の人が私たちを囲んで演奏してくれた。感激。きっと1週間に1組くらいしかこの博物館にはお客さん来ないと思う、イエチョンならでわの体験でした。
 それから、その文化センターの中に卓球場もあって、ただで卓球させてくれた。アイスをほおばってやってきたウイグルの太っちょの男の子と卓球しました。サーブだけすごかった。
 いい文化センターでした。
 
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[Photo107]雑貨屋
2005/07/07;イエチョン
 おっと居眠り。
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7月1日
当初、庫車(クチャ)から中国最西端のカシュガルに向かう予定だったが、日数に余裕があるのと、タクラマカン砂漠をもっと見たいという理由から、和田(ホータン)に行くことにした。
ホータンはタクラマカン砂漠の南に位置するオアシス都市だ。タクラマカン砂漠の北に位置するクチャからは、砂漠公路を通って行くことになる。この砂漠公路がものすごい。タクラマカン砂漠の真ん中をずどんと縦に貫く一本道。その距離600キロ。東京-大阪間とほぼ同じ。まったくすごいもんを作ったものだよ、中国人。
しかし、問題がひとつ。クチャからホータンへのバスがない。う~む、困った。志保と相談して、『砂漠公路までバスとタクシーを乗り継いで、路上でホータン行きのバスを待つ』という方法を選んだ。東の都市から来るホータン行きのバスは全て砂漠公路を通るはずであったので、この策は、そこまで無謀なものではなかった。
 
16:00
バスでクチャ発
 
17:30
ビュグル着 (砂漠公路北側入口に最も近い街)
 
18:00
タクシーでビュグル発
 
18:30
砂漠公路着 路上でのバス待ちスタート
 
19:00
大雨が降ってくる。
検問をしていた警察官の方をかわいい捨て犬のような眼で見つめる。
検問所の小屋に入れてもらう。
 
21:00
すごい風の音。
わりと余裕で読書など。
 
23:00
持参の食料を食べ尽くす。
『もしかして、この前は通らないんじゃ』と思い始める。
 
01:00 ここまで待ち時間:6時間30分
運命のバスに乗車。
暗闇でトラックかバスかも分からない中、検問所の警官が『停』の札を掲げてバスを止めてくれた。
 
02:00
バス故障。
『乗ってから1時間しか走ってない。』
そう思いながらも、眠りにつく。
 
08:00
起床。
タクラマカン砂漠の真ん中で、いぜん故障中。
 
10:00
いぜん故障中。
お年寄り、乳児は他のバスへ。
 
11:00
いぜん故障中。
運転手から水とナンの差し入れが配られる。
『そんなもんが届くなら、修理を呼べ、修理を!』
と思うが、空腹に負けてありがたくいただく。
 
12:00
修理隊到着。
『よっ!待ってましたっ!』
 
13:00 ここまで待ち時間:6時間30分+11時間
エンジン復活。
ブォーン、ブォーンと久々にバスの声を聞いた。
さあ出発だ。
 
13:20
昼食休憩。
『20分しか走ってへんやん!もう止まんのかよ!なんでやねん!』
乗客をすべて降ろしバスは何処かへ疾走してしまった。
 
16:00
バス戻ってくる。
『よしっ!やっと本気でホータンに向かえる』
と思ったが、バスは行かない。運転手たちの昼食らしい。
もうええわ。ホータン着かんでええわ。
 
16:30 ここまで待ち時間:6時間30分+11時間+3時間 走行時間:1時間20分
再々出発。
 
02:00
ホータン到着。
総待ち時間:20時間30分
総走行時間:11時間

ホータンは遠かった…

[Photo096]検問所の小屋
2005/07/01;砂漠公路
大らかな気分で読書に励む。
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[Photo097]我等がVIPバス
2005/07/02;砂漠公路
みんな暇なので砂漠でうんちなどをしていた。
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[Photo098]タクラマカン砂漠
2005/07/02;砂漠公路
窓の右も左も砂丘が広がる。
そうさ、ここはタクラマカン砂漠。
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[Photo086]坊主だけど女の子だよ
2005/06/27;クチャ
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[Photo087]クチャ大寺
2005/06/27;クチャ
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[Photo088]クチャ大寺
2005/06/27;クチャ
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[Photo089]陽気なおやじ
2005/06/28;クチャ
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[Photo090]雨合羽
2005/06/28;クチャ
花帽はウイグル人がかぶっている四角い帽子。
このおっちゃんは、雨の日、その花帽だけでも死守しようと、花帽にビニールをかぶせた。
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[Photo091]杏子酒
2005/06/29;クチャ
杏子で有名なクチャ。
干イチジクをつまみに飲む。あまうま~い。
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[Photo092]笑いっぱなし
2005/06/30;クチャ
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[Photo093]金曜バザール
2005/07/01;クチャ
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[Photo094]干杏子
2005/07/01;クチャ
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[Photo095]金曜バザール
2005/07/01;クチャ
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6月25日 -コルラ-
朝起きたら昨日同様曇り空やった。しかし昨日より風はずっとましのようだ。昨日は、まるで台風のような暴風だった。しかし、何日も晴天になるのを待てないので、今日、ロプ人に会いに行くことにした。
ロプ人は、タクラマカン砂漠の東方、古代楼蘭王国が存在していたあたりに住んでいた中国で最も古い民族のひとつだ。その地域には、砂漠でありながらロプノールという大きな湖が存在していた。『楼蘭』『ロプノール』このあたりの単語は、冒険好きの5,60のお父さんにはたまらない響きだろう。NHKシルクロードの喜太郎の音楽が頭をよぎるに違いない。ロプ人は、砂漠の中でロプノールと共に生活をしてきた人々なのだ。しかし、ロプノールが干上がってからは、水を求めて生活の場を二つの地域に移した。一つは孔雀河を上って西へ、もう一つはタリム河を求めて南へ。今では2000人ほどしかいないらしく、みんな街で生活をしている。
 
今回のロプ村訪問にはガイドの女の子が付く。英語名ジョセフ(?)。とても気が利くし、優しい子だ。ゴミは絶対ゴミ箱へ。中国人にしてはめずらしい、というか、この子ただ一人だろう。小さなカバンには、英語辞書、ネタ帳、筆談用のメモ帳、筆記用具が入っていた。とにかく必死でコミュニケーションに全力を尽くすかわいい子だ。
 
コルラ市内から車で1時間半。タクラマカン砂漠の入り口に、ロプ村はあった。一見したところ、それは西部劇に出てくるような無人の荒れ果てた村のように思えた。村には中国人観光客数名と赤いポロシャツを着た村のスタッフが数人いるだけだった。
『あれれれ、ロプ人はいずこに?』ガイドのジョセフに尋ねた。
すると驚くべき答えが返ってきた。『この村には103歳の老人1人しかいない。』
『なにぃ、ひとりかよっ!それで村かよっ!しかもそんな御老人に会えるのか?』と思った矢先、正しい姿勢で椅子に腰掛けている老人が目についた。長寿の帽子、白く長い髭、深く刻まれた皺。なにか独特の雰囲気を持っている。
ただこの村で1人でどうやって生活してるのかが気になった。が、その答えはすぐに分かった。彼は村のスタッフととても仲がよく、飯もただで食べれる。さらに観光客に写真を撮らせてはお金をもらっている。彼が子供の頃は、河で魚を獲り、羊を放牧し、厳しい砂漠での自給自足をやっていたのだろう。彼は今、この生活をどんなことを考えながら過ごしているのだろう、と思慮を巡らせたが、そんなもんわからへ~ん。思慮を巡らしたこと自体間違いやった。ただはっきりわかったのは、めっちゃ元気でそんじょそこらの103歳ではないということだ。1人で行きたいところに歩いて行くし、腹が減ったらピラフをたらふく食べる。彼にとって、晩年をこのような形でたくさんの人に囲まれて過ごし、たまに集まる大家族(ひひ孫ぐらいは軽くいるであろう)に誕生日などを祝ってもらって、それはそれは幸せだろうと勝手に思った。
 
さて、このロプ人の文化だが、非常に独特でおもしろい。現地ガイドのヤースンが、少しの英語とジェスチャー、そして臨場感あふれる幾種もの効果音で、おもしろおかしく教えてくれた。
この人達は、水と共に生きてきた。砂漠ポプラで作った小舟に乗って、漁をして、魚を食べて生活してた。やからみんな泳ぐのも得意らしい。もちろん放牧もするのだが、魚が主のようだ。村には木で作ったシンボルがたくさんある。魚、羊、馬、女の子、男の子、風、などなど。一番多いのは、太陽だ。全く外の文化が入ってきておらず、自然と共に生きる文化だ。どこかアフリカと共通するものがある。村の中を見学しながら、そう思った。
村の建物は、ほとんど砂漠ポプラと紅柳とススキでできていた。砂漠ポプラは、ふつうのポプラと違い少々不細工な格好をしている。しかし、このポプラ、ただものではない。砂漠の厳しい環境の中で、千年生きて、死んでからも千年枯れない。何かの本で、地元の人からは、『砂漠の雄姿』と呼ばれていると読んだことがある。とにかく丈夫なのです。紅柳は細かい枝をたくさん茂らせているので防砂壁として利用している。ススキは屋根だ。
この他、言葉の問題でうまく理解できなかったシンボルや風習がいくつもある。ロプ人、おもしろそうや。日本に帰ってからちょっと勉強してみよう。
ロプ村は、タクラマカン砂漠とタリム河とポプラと太陽に囲まれた古代の文化を保持した神秘的な村やった。
 
ロプ村の裏には、あのタクラマカン砂漠がどっしり構えていた。そこに立った時、会社の人たちに『タクラマカン』という飲み会を開いてもらったのを思い出した。
『来たよ、千葉さん!来たよ、みんな!』
シルクロードを象徴する大砂漠。果てしなく砂丘が広がり続けてる。『行っても行っても砂丘なんやろうなぁ。じゃあ、行かんでええか。』そう思った。

[Photo081]ロプ村の入り口
2005/06/25;コルラ
老人の顔を模った門。長寿の帽子と長い髭。
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[Photo082]右肩の上にロプ人103歳
2005/06/25;コルラ
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[Photo083]小舟
2005/06/25;コルラ
大昔、ロプ人は漁をして生活をしていた。今でも、ロプ人はみんな泳ぐのが得意だそうだ。
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[Photo084]タクラマカン砂漠とタリム河
2005/06/25;コルラ
ついにタクラマカン砂漠に立つことができた。果てしなく砂丘が続く中を、負けじとタリム河も続く。
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[Photo085]同じくタクラマカン砂漠とタリム河
2005/06/25;コルラ
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6月23日で28歳になった。志保は6月27日で27歳になった。
 
誕生日前に『プレゼントは何がいい?』という話になったが、お互い今すぐ欲しい物がない。そこで僕はイランに着いたら、サッカーイラン代表のユニフォームを買ってもらうことにした。そして志保はチャイナドレスなどを着て写真が撮りたいということになった。今、台湾を中心に中国でも大人気の記念写真サービスだ。衣装を着てスタジオで撮影。すると勝手に合成などされて、それはそれは恥ずかしい、いや、美しい写真集ができあがる。その非日常的な写真といったら御見合写真の比ではない。ウルムチ市内だけでもこの類の店が数十はある。以前、イーニンに行った時、サリム湖で野外ロケをしている二組のカップルをみた。女はもちろん男まで化粧をしてすっかりなりきっている。湖畔でお姫様ダッコなんて序の口。言葉では言い表せない赤面ポーズを平気でとっている。みてられへん。はぁ、あの時はほとほと呆れたものだった。
そんなこともあったので志保に一緒に撮ろうと誘われたが『ぜっっっっったい、いやや!!!』と強く断った。ただ、中国風の化粧をしたチャイナドレス姿の志保は是非見てみたかったので、一緒に店に行くことにした。数ある店の中でも人気の店らしく、店内では多くのカップルとスタッフが、それぞれどのプランでいつ撮影するかということの打合せを真剣にしている。志保は大きめの写真2枚ぐらいでいいと言っていたが、その店の一番安いプラン380元(5000円)で、
 1.A3程の写真1枚
 2.A5のアルバム1冊
 3.衣装2種類
といったセットやった。『まぁちょっと高いけど誕生日やしええよ。』ということになった。が、しかし、ここで店員が余計な提案をしてきた。
『プラス50元(650円)で2人で撮ってもいいよ。』
カップルで撮るのが当たり前!っていう店内の空気の中で、店員と志保がグルになって誘ってくる。赤面地獄へ俺を引きずり込もうとする。『いややぁぁぁ!』それでも、なおも身を乗り出し、『なぁなぁ』と迫ってくる。
『そうか、俺は今、人生最大の決断を迫られているのだな。Yesと言って赤面地獄に身を投じるか、Noと言ってしょうもない男と一生言われ続けるか。どうする雅敏よ。』
散々悩んだあげく選んだ答えは『Yes』だった。その後、赤面地獄でもがき苦しんだことは言うまでもない。
写真集は1ヵ月後の7月末にできあがるらしい。パキスタンから帰ってきて、ウルムチからカザフスタンに行く。その時に赤面アルバムを受け取ることにした。その際に、皆様にも赤面地獄の様子をご覧頂けることと思います。隠すことなくBlogにアップします。請う御期待!
 
さて、誕生日当日の6月23日だが、志保と道がコルラの街中を歩き回り3件の店で3個のケーキとワインを1本買って来てくれた。
道は、古川道則という名で、一ヶ月半程前に蘭州で知り合った人だ。生まれ育った場所が、なんと志保の実家と徒歩5分圏内。自転車で上海から走っていて、2年で世界中を走り回るというとてつもない冒険を始めたサイクリストなのだ。道とは1ヶ月半ぶりにウルムチで再会し、4日程行動を共にした。
で、僕の誕生日のときも、一緒に祝ってくれたというわけだ。
コルラホテルの部屋の中で、ケーキに飾られたロウソクの火を吹き消し、正真正銘28歳になった気がした。ロウソクの火を消すことで時間に境界線を作れる。火がついていた時はまだ27歳で、全部の火が消えた瞬間に28歳になった気がした。「生まれた時間がくれば1つ歳を取るのだよ」という冷めた声も少し聞こえた気がしたが、やはり昔から実感を与えてくれたのはケーキにささったロウソクの火だった。こんな西域の地で、この実感を得ることができて、とても幸せだ。ありがとう。
ワインを飲みながらそんなことを考えた。酔った頭ならではの少しロ、ロ、ロ、ロマンティックな思考だなと今は思う。
その日は、ワインを読みながら3人でいろんな話をし、夜中まで楽しい時間を過ごした。

異国の地で誕生日をむかえて、1つ歳を重ねるということは、なかなか感慨深いものである。いろんな人にお世話になって、かねてからの夢だったこの旅を、今、現実に実行できてる。この28歳は人生の中でも重要な1年になりそうや。旅をきっちり終えて、日本で納得いく旅の締め括りをして、そして次なる人生に繋げたい。これからもいい歳を重ねて、味わい深いおやじになりたいものだ。みなさん、これからも、どうぞよろしく。
 
[Photo077]発表会
2005/06/19;イーニン
今日はとにかく踊りまくるんだじょー
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[Photo078]花帽
2005/06/22;ウルムチ
観光客ではなく、地元のウイグル人がよく買っている。
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[Photo079]うめぇ面!
2005/06/24;コルラ
とてつもなくうまい冷麺に出会ってしまった!
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[Photo080]ケーキ
2005/06/23;コルラ
次の瞬間、28歳
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  • Author: 辰巳雅敏
辰巳雅敏

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